すばらしい先輩たち 会津人のほこり(第1集) -070/197page
です。岩子は、熱心に教育の大切さと、学校を建てる必要を説き、断わられても、断わられても、そのつど民政局に足を運びました。そしてついに、岩子の努カが実り、学校を建てる許可を得ました。
明治二年(1869年)六月、校舎ができあがり、小田付幼学校(おだつきようがっこう)と名づけて、元日新館の教師をまねいて、読書、習字、そろばん等を教えました。この小田付幼学校は、明治五年(1872年)政府が学校の制度をきめたので、わずかな期間でとざされましたが、多くのりっばな人たちを育てあげました。
東京へ
東京へ行っていた長男の祐三(ゆうぞう)が帰ってきて、話をしてくれました。
「お母さん、東京の深川(ふかがわ)というところには『救養会所(きゅうようかいしょ)』があって、そこでは、