すばらしい先輩たち 会津人のほこり(第1集) -081/197page

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いことを教えたり、古い産婆のやり方を新しく工夫(くふう)したりしました。

 岩子の活動は、県全体に広がり、福島にも育児院(いくじいん)がつくられるようになり、明治二十六年(1893年)には、会津若松に私立済生病院(しりつさいせいぴょういん)を開いて、貧しい人々のために無料で治療(ちりょう)を始めました。病院には貧しい人々が次々とやってきて、たくさんの人々から感謝されました。


全国への呼びかけ


 岩子は、貧しく困っている人を救(すく)うには、多くの人々の寄付金や町や村の援助(えんじょ)が必要だと今までの仕事のなかで、強く感じていたのでいつも、そのことをまわりの人たちに訴(うった)えていました。

明治二十四年(1891年)、第一回の国の会議に、『婦女慈善紀章(ふじょじぜんきしょう)の制(せい)』


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