すばらしい先輩たち 会津人のほこり(第1集) -083/197page

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 人や弱い立場の人々に救(すく)いの手をさしのべましょう。」

と、訴(うった)えました。

 このように、多くの人たちが貧しい人やみなし子を救う仕事に協カするように働きかけました。68歳になっても、そのカはおとろえず、益々活動を広げ、お金持ちの婦人をさそい、寄付(きふ)金を集め、貧しい人々のためにつくしました。

 明治三十年(1897年) 一月、ついに岩子は、過労(かろう)のため心臓病(しんぞうびょう)を起してたおれてしまいました。すぐに、共立病院(きょうりつびょういん)(今の福医大附属(ふくいだいふぞく)病院) の院長の治療(ちりょう)を受けましたが、病気は悪くなるばかりでした。それでも、岩子は、ベッドにねながら考えることは、貧しい人々の生活です。岩子は、見舞いにきた人々に苦しい息づかいの中で、貧しい人を救うことを重ねてたのむのでした。

 明治三十年(1897年) 四月十九日、69歳の岩子は、ついに永い眠り


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