すばらしい先輩たち 会津人のほこり(第1集) -118/197page

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 21日は、会津藩が天然(てんねん)のとりでとたのみにしていた母成峠(ぼなりとうげ)の防備(ぼうび)を西軍が突破して、会津領になだれこんだ日です。

                                      

 五郎の家では、すでに父佐多蔵(さたぞう)をはじめ、太一郎(たいちろう)、たちが、それぞれ戦場に出向いていました。数日前、謙介(けんすけ)、五三郎(ごさぷろう)の三人の兄五郎の母は、白虎隊士でありながら熱病でねていた四男の四郎をもむりにしたくさせ、

「柴家の男子ですぞ、急いで城中にいる父のところへ行きなさい。決して家の 名をけがすことのないように。」

と送り出していました。この四郎は後に東海散士(とうかいさんし)の名で小説を書き、また代議士や大臣にまでなった人です。

 八月二十一日の早朝、若松城下本二ノ丁(ほんにのちょう)の柴家に、面川沢村(おもかわざわむら)に住むきさおば

挿絵

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