すばらしい先輩たち 会津人のほこり(第1集) -127/197page
したが、カつきて天下の名城『鶴ヶ城』も、ついに西軍の手に明け渡すこととなってしまいました。柴五郎の一家は、母たち女性がみな自害(じがい)して果(は)ててしまったのに、父佐多蔵(さたぞう)をはじめ、4 人の男兄弟が生き残る結果となりました。
開城後、城内に生き残った会津藩士たちは猪苗代へ、城外にあったものは塩川などに移され、とらわれの身となってしまいました。その後、さらに越後高田(えちごたかだ)や東京その他に護送(ごそう)されて、「謹慎所(きんしんじょ)」といわれるところに押し込められ、監視(かんし)されることになりました。
五郎の一家は東京に移されましたが、五郎は長兄太一郎(たいちろう)と一緒(いっしょ)であり、父と五三郎(ごさぷろう)、四郎の三人はそれぞれ別の場所に移されてしまいました。
それから一年近く五郎は右も左もわからない東京で、書生(しよせい)・下男(げなん)・馬丁(ばてい)などをして、小僧よばわりされながらよその家を転々として働くよりほかはありませんでした。