すばらしい先輩たち 会津人のほこり(第1集) -128/197page
会津藩は、西軍に反抗(はんこう)したという事で領地を取り上げられてしまいました。藩士はすべて捕(とら)われの身です。そこに、新領地がもらえる、という知らせが入ってきたのは明治二年のことでした。会津二十三万石の藩士に与えられた新領地は、本州の最北端(さいほくたん)、下北(しもきた)半島のわずか三万石でした。
「新領地は、広々として、実際は七十万石もあるというではないか。」
「とんでもない、七千石もないという話だ。」
会津藩士たちは、不安と期待の入りまじった気持ちで、本州さいはての下北地方へ移住することになりました。
新しい領地の藩名は 「斗南(となみ)」 と名づけられました。
明治三年の五月なかば、柴一家の男たちは、それぞれの道を歩むことになります。父佐多蔵(さたぞう)は、一人で会津に帰りました。斗南領へ行く前に、せめて自害した母や妻子(さいし)たちの墓参りをして、別れを告げておきたいと思ったからでした。