すばらしい先輩たち 会津人のほこり(第2集) -033/203page
きた英世を待っていたのは、母の死の知らせでした。英世は、しずかに目を閉(と)じ、何一(ひとつ)つ言葉をだしません。吹き消された心のともしびを追い求めているようでした。黄熱病の成功も母のおかげだと思うのでした。こうした悲しみのなかでも、英世の熱病の研究は、続けられました。
英世の黄熱病(おうねつびょう)の研究について、年がたつにつれて、問題がでてきました。アフリカの黄熱病には、野ロのワクチンが効(き)かないという報告が、研究所にきました。この報告は、イギリスやフランスの学者だけでなく、ロックフェラー研究所員からもきていたのです。
「野口博士は、黄熱病の病原菌(びょうげんきん)を見違えたのだ。」
「南米の黄熱病とアフリカの黄熱病とは、種類が違うのではないか。」
いろいろな意見が学者からだされましたが、だれも確かめていません。
野口英世ロックフェラー主任研究員は、アフリカ行きを考えました。