すばらしい先輩たち 会津人のほこり(第2集) -110/203page
頼まれました。阿賀野(あがの)川の改修(かいしゅう)やら津川の新田開発(しんでんかいはつ)などの大きな工事も豊助はやりとげました。
安政(あんせい)4年 (1857年) 5月、降ったりやんだりの雨降りの日が続きました。朝から堤防(ていぼう)の見まわりに走りまわっていた部下たちが、ずぶぬれになって帰ってきて豊助に無事を報告するころ、雨はあがって日もさしてきました。
2年前の秋の終わりごろ、戸(と)のロ(くち)用水路を一度見たいという妻のれんの希望で、2人は馬にのって用水路を見てまわりました。猪苗代湖の取入ロ(とりいれぐち)から用水路に入った水は、やがて野をこえ山をめぐつて、一路若松へむけて走るように流れていきます。八田野(はったの)から滝沢(たきざわ)、そして飯盛山の山腹(さんぷく)に達(たっ)した水は、とうとうと音を立てて洞門(どうもん)に吸いこまれていきます。2人は洞門の出ロへも行ってみました。水は、洞門から水路をたどりながら若松の城下へ流れ下っていました。
2人が飯盛山から若松の城下をながめたころ短い秋の日は暮れて、しぐれが