すばらしい先輩たち 会津人のほこり(第2集) -114/203page

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 御用部屋にはだれもおりません。静かに午後の日が窓からさしこんでいます。磁石と書類をしっかりと抱いて、豊助のからだはもう動こうとしませんでした。5月25日、仕事熱心の豊助らしい最期(さいご)でした。65歳の一生でした。

 約180メートルの飯盛山の洞門(どうもん)を含(ふく)めて、新しい戸のロ用水路は、のべ5万5千人の人カによってできました。猪苗代湖から若松まで約30キロ、この水は1,800ヘクタールの田畑(たはた)をうるおし、町や村の水車をまわし、火災(かさい)を防ぎ、さらに現在は、会津若松市民の飲料水(いんりょうすい)として、または水力発電にも使われて、私たちの

佐藤豊助の墓(左が豊助、右がれん)
佐藤豊助の墓(左が豊助、右がれん)


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