すばらしい先輩たち 会津人のほこり(第2集) -188/203page
めて、すもうをとらせたりしました。神経痛(しんけいつう)の足をさすりながら、行司(ぎょうじ)をする四郎は、子どもにもどったようでした。
尾道へ来てからは、あまり柔道の話はしなくなりました。武道としての水泳についても、ほとんど語りません。しかし、ひとり静かに、庭で弓をひく四郎の姿を見た人は、昔の武士の姿を感じさせられました。
大正11年(1922年)12月23日、武道(ぶどう)できたえぬかれた西郷四郎のからだも、だんだんひどくなる神経痛には勝てず、ついに五十七年の生涯(しょうがい)をとじました。
悲しみの知らせは、各地にとび、長崎では、鈴木天眼(てんがん)が東洋日の出新聞に、かなしみの文章を書きました。
東京の講道館では、翌年(よくねん)になって、嘉納治五郎(かのうじごろう)が、今は亡(な)き西郷四郎に、六段の位を特別にさずけて、その功績(こうせき)をたたえました。