北会津村の文化財第27集 -002/039page

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北会津村の歴史 (歴史民俗資料館「歴史コーナー」の解説) 小 森 五 良

 北会津村にも小規模ながら歴史民俗資料館が設置された。本稿は歴史 民俗資料館の歴史コーナーの解説であり、古代・中世・近世と展示の順 序に従って述べたものである。

古代(縄(じょう)文・彌生(やよい)・古墳・奈良・平安時代)

1 北会津村の誕生

 昔、北会津村は洪水の常習地帯といわれている地域で誕生した。即ち 大川(阿賀川) は会津本郷町の東端、岩崎山の急な崖を頂点として、会 津盆地の南半分に大きな扇状地をつくっている。同じように宮川は、会 津高田町の南、高橋の峡谷を頂点として扇状地をつくっており、南の関 山方面から流れてきた濁川沿いでぬいあわせたようになっており、北会 津村は大川と宮川の複合した扇状地の地形をなしている。即ち大川と濁 川・宮川・鶴沼川に挟まれた複合扇状地で絶えず洪水が氾濫したことに より、その上に中州が形成された。
 一方、扇状地はその扇項付近から大きく扇形に拡がり、下流にいくほ ど堆積した砂礫は小さくなっていく。
 このように現在の北会津村の占める地域は、大川や宮川などの氾濫に よって流された土砂の堆積により地層ができたため、砂壌土が多い割に 土地は肥沃のところが多い。そのため比較的高い中州などには相当早く から人々が住み一着き、集落ができたものと思われる。そして各地にでき た集落の集合体が、現在の北会津村である。
 なお、明治35年農商務省の地質調査によれば、北会津村の土壌は 左図のとおりである。

会津村土性図(明治35年農商務省地質調査所による)

会津村土性図(明治35年農商務省地質調査所による)


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