北会津村の文化財第27集 -003/039page
2 今和泉遺跡
昭和33年(1958)十二月末に、今和泉の畑から土器や石器が 発見された。その出土品は壷や甕、鉢形などで、ほぼ完全なものや破片 など多数あって一部縄文晩期のものもあるが、大部分は弥生時代の前期 から中期のものであることが分かった。また遺跡からは灰や炉跡なども 確認され、ここに人が住んでいたことは間違いないとのことで、しかも 村内から発掘した出土品では西麻生遺跡とともに一番古く、本村に住ん だ村民第一号のものではなかろうかと思われている。3 西麻生遺跡
昭和39年早春に、北会津村西麻生の畑から土器が発見された。そ の出土品からは農具と思われる打製石斧のほか太い箆描沈線文と磨消縄 文手法を用いた鉢や甕などの精製土器のほか、粗製土器としては無文か 条痕が全面に施された大形甕や鉢が多く、また縄文晩期に多い複合口縁 の甕も含まれているが厚手に作られ焼成は一般に粗悪である。
当時、会津盆地周辺部の扇状地より遠く離れた低地帯としては、縄文 期の遺物は珍らしく、少なくとも弥生時代の前期には人が住んでいたの ではないかと思われる。4 和泉遺跡
和泉遺跡は、以前から古墳時代の土器が出土するところとして知られ ていた。磐越自動車道の工事により遺跡の一部が失われることになった ため、昭和62年の工事にさきがけて発掘調査が実施された。その結 果、和泉遺跡は弥生時代後期から古墳時代前期にかけての遺跡であるこ とがわかった。
弥生時代のものとしては、土器や石器、管玉、ネックレスの一部が発 見されたほか、当時の墓の跡で楕円形の穴に埋葬したものと乳児を埋葬 した土器棺墓とが発掘された。古墳時代のものとしては、古墳時代の始 めになって集落が営まれるようになってからの住居跡が十一ケ所と、多 量の土器が見つかったほか砥石など、一般に天王山式土器が出土してお り、弥生時代後期より人々が住んでいたものと思われる。5 田村山古墳
田村山部落の東北に、古くから塚の腰(塚腰) という塚があって、そ の大きなものを糠塚と呼んでいた。この地方は大正11年より13年頃 にかけて耕地整理が行われたが、この糠塚は古墳であるという伝承もあ り、耕地整理後掘削したら、副葬品として内行花文鏡や碧玉、管玉、剣 身残欠などが出土し、偉大な豪族の墓であったことが判明した。これら は一括して昭和28年に県の重要文化財の指定を受けた。出土品は田村山の区長宅で保管されている。なお古墳は左図のような「帆立貝式前方後円墳」で、昭和47年に村の指定文化財となっている。