北会津村の文化財第27集 -005/039page
2 下小松(小松) に館構築
延文(1356〜1360) の頃、葦名の臣で五千石ともいわれる小 松弾正包(かね)家により館が構築されたといわれている。その後平田総右衛門 という者が住居し、天正(1573〜1591) の頃、五千石の松本源 兵衛が住んだといわれている。なお、新編会津風土記には、当時この村 に館が三つあったと書かれている。前記小松館のほか、一つは村西にあっ て、土居堀の形が遣っており、いつ頃か佐々木鴫之助という者が住んだ が、現在は基盤整備事業により田圃になっている。残る一つは北東の方 一町三十間にあって、土塁の形が遣っているが何人が住んだか詳らかで ない。現在小松原運動場となっている。下図は小松館の復元図である。3 各地に館の構築
新編会津風土記には、現在の北会津村内に十三の城や館の書き上げが ある。そのうち五千石級の領主として下荒井城と下小松の館や現在は会 津本郷町になっている上荒井村に葦名の臣で荒井万五郎が住んだという 城にふさわしい館の三つが中心となって、葦名氏を護る核となり、その 下に館を構えた小さな豪族がいて村々を統治していたのではないかと思 われる。その館は左記のとおりである。
1 中荒井村館
2 石原村館
3 田村山村館
4 館村館