北会津村の文化財第27集 -036/039page
上米塚の肝煎になった小池貞通、その子、左京道利は、中荒井堰の堰 守役人になり、代々小池喜八郎を襲名していた。会津戊辰戦争後、初代 川南村長の、簗瀬(やなせ)新六郎の助役をも務めた。