北会津の昔ばなしと伝説 -038/238page

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それは、それは、大きな寺で、近郷近在(きんごうきんざい)の人々の信仰(しんこう)の中心だっただど。宿坊(しゅくぼう)もたくさんあって、修行僧(しゅぎょうそう)も大勢(おおぜい)おって、会津では大きな勢力(せいりょく)を持っておったそうだ。

 旧暦四月十七日信仰の行事として、大人は、大人同士で講(こう)を結び、子供達は重箱(じゅうばこ)にしみ餅(もち)や餅炒(もちい)り、山椒芋等(さんしょういもなど)を入れてもらって持ちより、神社や寺のそうじをしたあとで、皆で食べたり遊んだりして楽しんだんだど。

 七世紀頃に高寺(たかでら)は、坂下町の近くに立木観音寺(たちきかんのんでら)として移築(いちく)されて、現在も大勢(おおぜい)の人々に信仰(しんこう)されていたんだど。

 高山講(たかやまこう)は、昭和25年頃まで続いていたが、その後は、講(こう)もすたれ、そんな行事もなくなってしまっただど。


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