北会津の昔ばなしと伝説 -039/238page

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12 四(よ)つ壇(だん)とキツネ

 むかし、あっただど。

 道路を境(さかい)にして東西(とうざい)に四つの壇(だん)が並(なら)んであったんだど。この四つの壇(だん)は南(みなみ)は橋爪組(はしづめぐみ)、北(きた)は中荒井組(なかあらいぐみ)になっていたんだど。

 その四つ壇は、高さが二間(にけん)、面積は一畝歩(ひとせぶ)ずつの広さで、昔は二つの組の境(さかい)を示(しめ)すために造(つく)ったとか、死後(しご)の供養(くよう)をするために造(つく)ったといわれているんだど。

 四つ壇(だん)は皆同(みなおな)じ大きさで東(ひがし)の壇(だん)の上には、大きな杉の木があり、さらには、馬頭観音様(ばとうかんのんさま)の石碑(せきひ)があったんだど。真ん中の二つの壇(だん)には何ら木らしいものはなかったが、西の壇(だん)には会津一(あいづいち)を誇(ほこ)る大きな桜(さくら)があっただど。この桜は稲(いね)の種子(たね)まきどきに咲くから種子(たね)まき桜と呼ばれていたんだど。その桜(さくら)の根元(ねもと)は大人が3人で抱(かか)えるほど太く、その側(そば)に松が一本


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