北会津の昔ばなしと伝説 -092/238page

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 延文(えんぶん)の頃(ころ)、小松村(こまつむら)の豪族(ごうぞく)に小松弾正包家(こまつだんじょうかねいえ)という人がおっただど。ここの住人の法心(ほうしん)・妙円(みょうえん)の二人が救世観世音(くぜかんぜおん)の化身といわれる聖徳太子をこのお不動様(ふどうさま)のお堂に一緒にお祀(まつ)りしただど。

 ところが、夜な夜な、太子様(たいしさま)とお不動様(ふどうさま)が、

 「ここは、私の場所だ。」

と言って喧嘩(けんか)をして、しかたがながったので、この様子(ようす)を見かねた村人たちは、お不動様(ふどうさま)と太子様(たいしさま)のお堂を別々に建立(こんりゅう)しただど。お不動様(ふどうさま)と太子様(たいしさま)のお堂を別々に建てたところから「二堂村(ふたつどうむら)」と呼ばれるようになっただど。その後、保科正之公(ほしなまさゆきこう)の時代の寛文(かんぶん)の頃(ころ)に二堂村(ふたつどうむら)を 「両堂村(りょうどうむら)」 と改めたんだど。

 ある時、両堂で火事があっただど。その火は勢いが強く、お不動様(ふどうさま)のお堂が燃えそうになってな、あわやの事態になっただど。すると、沼の中から数百数千の螺(つぶ)が

 「お不動様(ふどうさま)をお守りすんべ。」


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