北会津の昔ばなしと伝説 -104/238page
村人達も、秋仕事が終ると、正月用に、子供達の帽子(ぼうし)や、雪下駄(ゆきげた)を買ってやる為に、手間賃稼(てまちんかせ)ぎに、砂利採(じゃりと)りの仕事をしていたんだと。その頃(ころ)は、今の庄條村長のひい爺(じい)さんがな、その砂利採(じゃりと)りの仕事を請負(うけお)っていたそうな。一間(いっけん)四方の木の升(ます)に、振った砂利(じゃり)を、一杯(いっぱい)いくらで、皆んな働いていだど。
そしてなあ、五、六年位経(た)った頃(ころ)、なかっつぁまに住んでいた爺様(じいさま)が、どこが悪るがったか詳(くわし)くは分かんねえげんじょも、コロッと死んじまったど。大概(たいがい)の家ではな、葬式(そうしき)して、お墓に埋めるのが普通だげんじょも、土地もねえ、お墓もねえ爺様(じいさま)は、仕方(しかた)なく火葬(かそう)にして、婆様(ばあさま)は、骨箱を大事に守っていたと。暫(しばら)く経(た)ってがら、婆様(ばあさま)が、ぽつんと言ったど。
「おら達はな、新潟(にいがた)の山奥から、事情(じじょう)があって出て来たげんじょ、銭(ぜに)がねえので、仕方(しかた)なく、このなかっつぁまに住むしかなかった。」と。
そしてな、自分は栗田(くりた)″というだと、名乗(なの)ったそうな。
爺様(じいさま)がいなくなった婆様(ばあさま)は、トラ猫をたった一人の身寄(みよ)りとでも思ったのか、それはそ