北会津の昔ばなしと伝説 -185/238page

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そうな、にぎわいでした。現在は、子安地蔵としておまつりしております。

 若松から江戸へ行く日光街道は、若松から上飯寺を通り、上米塚(かみよねづか)渡し場から、今の消防屯所(とんしょ)の前に出て、本郷町(ほんごうまち)から栃沢(とちさわ)を通り、大内(おおうち)へと行く道順でした。

 会津の殿さまが、参勤交代(さんきんこうたい)で、江戸へ行くときも、この街道を通りました。

 この街道は、玉光堂(ぎょっこうどう)の南側を通っておりました。現在と殆(ほと)んど同じですが、道はせまく、お堂との間は、少し離れておりました。

 玉光堂(ぎょっこうどう)の門をくぐったすぐ右側に、大きくて太い松の老木がありました。その松の何本もの枝も太くて、曲りくねってのびており、街道に陰(かげ)をつくっておりました。

 玉光堂(ぎょっこうどう)の近くには、モクモクと小砂を吹き上げて、川底まではっきりと、すきとおって見えるきれいな、冷たい清水がありました。そこは、玉石で垣(かき)が造られ、その石には、あおあおとしたコケが一面に生え、トゲキョも泳いでおりました。

 旅人は、ここで水を飲み、かわいたのどをうるおし、松の下で一休みして行きました。


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