北会津の昔ばなしと伝説 -184/238page

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とお地蔵さまが流されてしまいました。

 その流されていくお地蔵さまを見つけた宗文字(そうえん)の木野左五衛門(きのさごえもん)という人が、自分の危険もかえりみないで、渦まく濁流(だくりゅう)の中から拾いあげ、家に持って帰って、手厚くおまつりしておりましたが、正徳元年(1711)に、上米塚(かみよねづか)の泉現寺(せんげんじ)に移しました。

 その後、安永九年(1780)になって、改めて泉現寺(せんげんじ)の前の南側に、お堂をたてて安置したといいます。そのお堂を、玉光堂(ぎょっこうどう)と名付けました。

 玉光堂(ぎょっこうどう)のお地蔵さまの祭礼日には、近郷近在から、多くの善男善女が参拝に来て、たい

挿絵 玉光堂の腰かけの松


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