北会津の昔ばなしと伝説 -190/238page
47 百騎沼(ひゃっきぬま)
鷺林(さぎばやし)の村北60メートル余りのところに、百騎沼(ひゃっきぬま)という名の沼がありました。大正の頃まで、畳二十丈位の広さの沼が残っておりました。
また、本田の村北に、菅原(すがわら)神社がまつられておりますが、この辺りに、一盃館(いっぱいたて)という館(やかた) がありました。
むかし、石川郡にねじろをもつ石川氏の一族の軍が来て、一盃館(いっぱいたて)をねじろにして、戦いをしておりました。
ちょうどこのとき、葦名直盛(あしななおもり)と新宮明継(しんのみやあきつぐ)が、新宮(しんのみや)の村の小松原(こまつばら)で合戦をしていましたので、この戦いを、小松合戦(こまつがっせん)と呼んでおります。
石川氏の軍は、夜中に、この一盃館(いっぱいたて)から、百騎(ひゃっき)余りの騎馬隊(きばたい)を、出陣させました。
この辺の農家は、ソバを多く栽培しておりました。時節は夏でしたので、一面、ソバの