北会津の昔ばなしと伝説 -194/238page

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 ぶっかけ橋というのは、橋桁(はしげた)をむこう岸まで並べて、橋桁(はしげた)に板を敷きならべてつなぐといったものでした。

 ですから、水かさが少し増しただけでも押し流されてしまって、使いものになりませんでした。

 人が渡るのがせいぜいですから、若松へ野菜やその他の品物を売りに行くときなどは、馬の背に米俵三俵(たわらさんびょう)をのせたり、モッコでかついだり、背負ったして、川越えをしていました。

 この舟場の近くに一軒の茶屋があり、茶屋のわきには、稲荷さまがまつられてありました。この稲荷さまの境内に松が三本生えておりましたので、この地名を三本松(さんぼんまつ)というようになりました。

 ぶっかけ橋が、常橋になりました。

 小松の高木源四郎(たかぎげんしろう)はうたげいで、友人が、若松の小田橋の辺に住んでいました。この友


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