北会津村誌 -056/534pag

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    21 1888 7.15 午前7時45分磐梯山破裂、約70平方粁埋没、雄子沢・細野・秋元原・川上埋没、見爾・長坂・渋谷・白木城・樋ノ口・名家・伯父ガ倉の一部を含めて被害戸数151、田埋没51町、全潰82、半潰17、死者476人、負傷者41、馬43、牛3死ぬ。長瀬川に泥流押流し、樋ノ口に達し、枇杷沢を下った末端は見爾の東半を埋没、檜原・小野川・秋元その他の湖をせき止め、檜原・小野川全部檜原村に移転、その他にも移転多し。  
    27 1894 12.11 暴風雨、大川及び湯川洪水。  
    29 1896 5.15 午前8時ごろにわかに雄国沼の貯水堤防決潰し、涸れる。連日の雨水一時に注入したためという。雄国新田飲料水もなく困窮する。  
    35 1902 9.28 暴風雨大洪水、会津地方明治後最大のものという。伊南村、大川、阿賀野川出水甚しく、死者102人、家屋全潰758戸、半潰462戸、破損6992戸、被害水田872町、畠174町。  
    36 1903   洪水  
    37 1904   洪水  
    38 1905   洪水  
    39 1906   洪水  
    40 1907 8.28 洪水  
    43 1910 8.11 洪水  
    44 1911 7.13〜7.17 7月13日夜来の雨、翌14日洪水となり、被害多く、再び豪雨あり。

7月17日午後8時ごろより諸川氾濫す。堤防決潰甚しく明治12年の洪水をしのぐ惨害という。

大塩川添い熊倉村高柳堤防決潰、30戸床上浸水2尺余。長瀬川の増水甚しく、湖水増水し、沿岸に氾濫し、田畑併せて1659町流水埋没、浸水住家1395戸。

 
大正 元 1912 7.22 7月19日より22日まで降雨、一日最大野沢188.4粍、連続284.6粍、7月中旬より霖雨つづき、8月1日午前11時田付川、濁川9尺余増水、塩川全町浸水、床上2〜5尺浸水、姥堂・熊倉・北山・大塩・関柴・駒形・磐梯  

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