北会津村誌 -462/534page
ただ神社系統からもみられるが、寺院開基にしても、中央薬師の勝常寺を除いては盆地の周縁地が古く、規模 の大きなものがみられる。そして神社の信仰は、日本本来の神であるため、御神体の偶像を必ずしも要求しな い。例えば諏訪信仰が、みさ山などといって、自然の山を神と見立てたり、単なる御幣一本、後に懸仏とか、木 像などを奉るようにもなったが、信仰の魂の問題、信仰の心に重点があって、御神体そのものの物的価値という ことは論外に置かれていたようにみえる。神は何時でも、清め、招じたところにお下りになるようである。この ことの方が、信仰の本随になっていると思われる。
これに対して仏教は明らかに輸入宗教であるため、仏像の逸品、寺院の豪壮さで信仰をつなぐことが必要であ ったようにみえる。これが芸術的な仏像を多く残していることにもなる。
北会津村の仏像も一通り殆んど全部拝んでみたが、下荒井の観音像や、そこに祭られている不動像などは勝れ ている。館の観音像も柔和な、温情あふれる特異な表情がうかがわれるが、上身の後の塗りかえはまずかったよ うである。ただ宇内・勝常の薬師、そばたち、新鶴村根岸中田の観音のような、規模の大きな逸品が目につかな いのは、中州文化が、盆地周縁より立ち後れのあったことを示すものであろう。各部落に祭られる神社・寺院の 縁起は、それぞれの項で、比較的詳細に調査もし述べておいたので、重複をさけ、ここに大要の分布を一覧表の 形にまとめてみる。祭神、祭日、氏子の数なども、小学校に保存してある郷土誌資料より転載した部分のものが 多いので、現在とは相当くいちがっている点があるかと思う。脱落などもあったら容せられたい。
在 所 神社・寺院名 祭神・宗派 祭 日 氏子・檀家数 中荒井 諏訪神社 武南方命 八月三十一日 一六六