北会津村の文化財 第29集-029/033page
飯豊山詣りの思い出
多田光男
私が飯豊山詣りをしたのは、昭和十三年(六十五年前)八月上旬であったが日時は記憶にない。同行八人で、先達人はムラの津佐照さんの叔父で上米塚に養子に行った方で小池幸美さんであった。年令は十歳が三人で、安味勝、多田光男、山中常喜、十一歳が二人で多田要、干代誠、十四歳が一人で津佐等、十五歳が一人で、津佐幸男さんであった。
先ず鎮守様に、飯豊参りの無事参拝を祈願して、当時の公会堂で七日間のお籠もりに入る。公会堂の西脇の袋掘に〆縄を張って、身を清めてから手を合わせて
あしやに、あしやに、くすしくたうと
飯豊(いいで)の御山(みやま)の神の御前(みまえ)におろ神祭ると、繰り返し、三回唱える。食事は自分達で料理した肉、魚、卵などを断って、野菜、漬物、豆腐などを食べた記憶がある。
出発の前日は、ムラの男の方々のお手伝いを受けて鶴沼川で七瀬垢離とりといって、麻生新田の西より大島新田の西まで七つの瀬を、水垢離をとりながら越える。
飯豊山詣りの身支度は、白装束に冠、草鞋履、首に頭陀袋をさげた。袋の中には米、一銭お金三〇枚位入れてあった。笠に茣蓙、山小屋で食べるお米とおにぎり、履替の草鞋などを風呂敷に包み、それを背負って、家族に見送られて出発した。会津高田駅より上り線に乗車し、会津若松駅乗り替え磐越西線下り山都駅下車し、此れより徒歩にて一ノ木まで十ニキロ飯豊山神社拝殿を参拝して帰りの宿泊所の高橋屋で持参のおにぎりを食べてひと休みをした。当時、一ノ木の民宿は六軒あったそうだ。
ひと休みの後出発する。トロッコ道は、一ノ戸川に沿って川入まで九キロ、この軌道を歩くのは足どりが悪く容易ではなかった。御沢から山登りに入る。木の根坂は樹木の茂みで昼でも薄暗い様な所であった。木の根で段差がひどくて難儀な場所で