北会津村の文化財 第29集-030/033page

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あった。横峰小屋を通って一日目の泊まりの地蔵小屋に着く。小屋は二軒あって六十人位泊まれそうだ。小屋の明かりはローソクで、食事は御飯、味噌汁、漬物の一汁一菜であった。皆でざこ寝であった。

二日目は早朝二時半頃出発した。先達人は提灯を持って一同三国岳にと向かう。提灯の明かりが遠くに高くに近くに揺れて神秘的であった。

留守の家の方では仕事を休んで鎮守様に、無事お山をかけられるようにと祈願をしていたそうだ。

登山途中、雲海よりの御来光は素晴らしい絶景であった。三国岳を越えて、馬の背のような剣ヶ峰を、鉄の

  なんまいだんぼ、なんまいだんぼ

と唱えて登った。

万年雪を踏みながら、種蒔神社の祀ってある切合小屋から草鞋塚にと登る。登る人と下る人の挨拶は、

  よい時の御参拝、御山は晴天

と、言葉をかけあった頂上を目指し、一ノ王子から五ノ王子までが飯豊神社である。飯豊神社に一同御参拝し、途中の苦難も忘れて喜び帰り足となる。

地蔵小屋まで下って昼食を食べて、今夜の宿一ノ木の高橋屋をめざして下山する。夕方、疲れて高橋屋に着いた。当時の一ノ木は大変賑わっていた。

三日目宿を後にして山都駅へと足を早め、一同無事ムラに帰る。まず鎮守様に御礼詣りをして、公会堂で空垢離をして解散となる。

地蔵小屋一四八五メートル、三国岳一六四四メートル
種蒔神社一七九一メートル、草鞋塚一九〇八メートル
飯豊神社二一〇五メートルである。

尚、その後私は西麻生の大竹清美さんの父大竹清さん(この方は先達人)に今回は多勢だからと頼まれて一緒に二回飯豊参りをしている。

現在は山都駅より一ノ木まで定期バスが通ってまたトロッコ軌道は撤去され舗装となり八月一ヶ月間は川入までもバスが通っているそうです。

雲海の飯豊山を眺む雄国より
雲海の飯豊山を眺む(2001年3月)雄国より   写真:新井田紘一氏


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