わたしたちのきょう土河東町-003/104page

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(2) 明治のはじめごろ
長かった武士の時代が終わると、日本は新しい国づくりに力を入れはじめました。この時、河東町は代田組とよばれていましたが、57か村もの小さな集落の集まりでした。これらの小さな集落を合ぺいしていくことが、新しい国づくりの第一歩とされました。
〜合ぺいの流れ〜〔資料:河東町史〕
明治のはじめごろ 1875年
(明治8年)
1881年
(明治14年)
稲荷原新田 生井新田 松永分 高野下分 四ツ山村 八田村
八田野村 八田野新村 八田野村
漆沢村 藤倉新田 藤漆村
強清水新田
原村 塩庭新田 六丁原村 沢目新田 堤新田 横堀新田 広田村
藤倉村 難波野分 倉道村 槻橋村 鏡山分 倉橋村
駒板村 駒板新田 古川分 塩庭村 林分 界新田 浅野新村 金田村
原田新田 長谷地新田 東高野分 東長原村
北山新田 浅野村 中林新田 浅山村
南高野村
郡山村 郡山新村 新屋敷新田 金道分 郡山村
北畑分 代田新田 代田村 代田村
京手村 高畑村 谷沢村
方便新田 方便村 岡谷地新田 岡田村
鴨田新田 柏原新田 堂島新田 大和田新田 大田原
茶臼森新田 北高野新田 冬木沢村 広野村
熊野道村 町和田分 熊野堂村
島村 西屋敷村 福島村

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