わたしたちのきょう土河東町-049/104page

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2 交通のべんにめぐまれた町
(1) 鉄道の発展
河東町は、むかしから、いろいろな道が通っていました。喜多方市や会津坂下町へ行く道や、八田野に「一里づか」があるように磐梯町や猪苗代町を通って、さらに東京につながるたいせつな道も通っていました。
今から100年ほど前の1899年(明治32年)7月に郡山から会津若松まで鉄道が開通し、広田ていりゅう場(今の広田駅)ができました。国に12年間ずっとおねがいしつづけてやっとできた鉄道で丸町の人々はたいへんよろこびました。
1904年(明治37年)には会津若松から喜多方まで開通しました。しかし、今の場所に堂島ていりゅう所ができたのは、それから30年あとの1934年(昭和9年)でした。そして、1940年(昭和15年)に東長原駅もできました。
1967年(昭和42年)に磐越西線の電化工事は完成し、7月1日から運転がはじまりました。黒いけむりをはく蒸気機関車のかわりにクリーム色とピンク色のスマートな電車が走るようになりました。
いさましく走る蒸気機関車D51
▲いさましく走る蒸気機関車D51
さっそうと走る電車
▲さっそうと走る電車

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