わたしたちのきょう土河東町-085/104page
9 きょう土を開く
1 八田内蔵之助の努力
むかし、八田野(二小地区)のあたりは、田にてきしているたいらな土地がかなりありましたが、清水やわき水などを使っていたので田はわずかばかりしかありませんでした。
そこで、1623年(今からおよそ370年ほど前)八田野村のきもいり内蔵之助は、
村からあまり遠くないところには、猪苗代湖の水がたくさんあります。この水をひいてくることができれば、この広いあれ地を美しい田んぼにすることができます。
との様、猪苗代湖の戸ノ口より自分の村まで、新しく堰をほり、新田をつくらせてください。
と、会津のとの様、蒲生忠郷にねがいでました。との様は
新田をつくつて米がとれるようになるのはたいへんよいことじゃ。
と、ねがいを聞き入れて、堰をつくることをゆるしました。
さっそく、内蔵之助は、工事にとりかかりましたが、お金がかかりすぎて、2年で中止してしまいました。
しかし、内蔵之助は、藩からの助けがなくなっても、自分のお金をかけて工事をすすめました。のべ2万人もの人夫の手で、鍬やもっこを使って工事をしました。山くずれにはまくら木を使い、水もれにはしばのかたまりをつめたりして、たいへんな工事でした。そのうち、