わたしたちのきょう土 磐梯町 -090/116page
3 かわってきた磐梯町
(1)恵日寺が栄えたころ
磐梯町には,遠い昔から人が住んでいました。いままで発見されている縄文(じょうもん)時代の遺跡(いせき)は23か所もあります。
しかし,歴史の上で明らかになっているのは,平安時代のはじめからです。807年ころ,奈良からきた徳一というお坊さんが磐梯町の本寺のあたりに恵日寺を建てました。
徳一と弟子たちによって,その教えが広まるにつれ,恵日寺は会津を支配するほどの勢カをもつようになりました。
しかし,平安時代を通して栄えた恵日寺も,l181年(寿永2年)乗丹坊(じょうたんぼう)の率(ひき)いる恵日寺の増兵が,信州(今の長野県)で木曽義仲(きそよしなか)と戦って破れ,それ以後,次第(しだい)に領地(りょうち)を失っていきました。
(2)若松にとの様がいたころ
恵日寺のつぎに会津を支配したのは,芦名のとの様でした。1589年(天正17年),伊達政宗が会津を攻めました。芦名名義広(あしなよしひろ)は,磐梯の磨上付近で戦いましたが,負けてしまいました。
この戦いで恵日寺にあったたくさんのお堂も焼かれてなくなりました。
伊達・蒲生・上杉・加藤と短い間にとの様が代わった後,