わたしたちのきょう土 磐梯町 -091/116page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

1634年(寛永20年),保科正之(松平氏)が会津藩主になりました。

松平氏の会津藩(はん)は,産業を盛んにするため,各地で原野を開こんし,また,新しく開いた水田に水を引くためのせきもつくりました。磐梯町の布藤堰もそのひとつです。

との様の時代は,1868年(明治元年9月)まで続きました。

上西連の町屋につくられた伊達政宗の館(やかた)の図
上西連の町屋につくられた伊達政宗の館(やかた)の図

(3)村のすがたができたころ

昔は家の集まっているところを村といっていましたが,明治時代になってから,となりどおしの村が集まって,だんだん大きな村をつくっていきました。

村のすがたができたころ


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は磐梯町教育委員会に帰属します。
磐梯町教育委員会の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。