磐椅王国 -024/034page

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−近 代−

66.天鏡閣(てんきょうかく)・迎賓館(げいひんかん)(翁沢・御殿山・畑田)
 長浜の西側、小高い丘の上に建つ天鏡閣は、有栖川宮威仁親王殿下が明治四十年(1907)に東 北地方を御旅行の際、美しい猪苗代湖の景観を愛でられ翌年御別邸としてこの地に建設さ れたものです。ルネッサンス様式を基調とした洋風の建造物で、スレート葺で八角塔屋 を持った木造2階建の本館と従業員宿舎として建設された木造2階建寄棟造の別館、煉瓦 造の表門が指定されています。迎賓館は成仁親王妃慰子殿下が、その隣地に和風の別邸 として大正十一年(1922)に建てられたもので、木造平屋建、銅板葺の建物です。有栖川 宮薨去後高松宮宣仁親王に引き継がれ、さらに昭和二十七年高松宮家より県に下賜され、 今日に至っています。天鏡閣の名は李白の句「明湖落天鏡」に由来するといわれ、明治 四十一年大正天皇が行啓で5日間滞在された際に命名されました。

(国指定重要文化財・登録有形文化財)
天鏡閣本館
天鏡閣本館

迎賓館
迎賓館

67.十六橋(じゅうろくきょう)(翁沢・竹ヶ袋)
 文化六年(1809)に完成された『新編会津風土記』によれば、空海が流れの中に塚を 築き、丸木を架けて十六断の橋としたのが始めとされ、その後度々朽ちるので、天明 六年(1786)に材木石を用いて、勾欄の付いた23断の石橋としました。

 現在のものは大正初期の猪苗代水力電気株式会社が発電所の建設に際して水利調節 のために築いたストーニー式の水門で、その際石橋は取り除かれ、昔の面影は無くな りました。新しい橋の西側には安積疏水の設計者であるオランダ人ファンドールの銅 像と戸ノロ水門事務所があります。
十六橋

68.硫黄採掘廃坑跡(いおうさいくつはいこうあと)(蚕養・沼尻山)
 安達太良山の噴火口沼ノ平より西に流れる硫黄川沿いには、硫黄鉱の露頭があり、 古くより硫黄の採取と製錬が行われてきましたが、現在は沼尻温泉の源泉湧出地、湯 垢の採取場として利用されています。また安達太良登山の道筋でもあり、周囲には白 糸の滝や障子岩・屏風岩・胎内岩などの景勝地もみられます。
硫黄採掘廃坑跡

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