郷土読本 わたしたちのきょう土 猪苗代-080/112page

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ていました。
昭和のはじめころになると,児童数も400人をこえ,それまでの校舎がせまくなったので,1932年(昭和7年)に校舎西半分が増ちくされ,6教室がふえました。1953年(昭和28年)には,校舎東半分が建て直され,その後体育館が建てられました。
1932年(昭和7年)の校舎
1932年(昭和7年)の校舎(左側は増ちくした校舎)
1932年(昭和7年)の授業風景
1932年(昭和7年)の授業風景
50年前の学校 1947年(昭和22年)に学校の制度がかわり,千里村立千里小学校となりました。そのころは,子どもたちのほとんどは着物を着て,ぞうりやげたをはいていました。教科書はザラ紙に印刷したもので,ノートやえんぴつもそまつなものでした。1955年(昭和30年)には町村合併が行われ,猪苗代町立千里小学校となりました。
1954年(昭和29年)頃の校舎
1954年(昭和29年)頃の校舎
1960年(昭和35年)の授業風景
1960年(昭和35年)の授業風景

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