喜多方市の文化財 -022/055page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

旧 手 代 木 家 住 宅

 手代木家住宅は、木造・寄せ棟造り・茅葺き・平屋建ての江戸後期の村 役上層農民の住居で、面積は77.4坪(275.72u) ある。

 手代木家は、天保年間後半に小荒井組郷頭手代木助左衛門の二男であっ た手代木郷助が下三宮に分家して同村の肝煎及び明治に入って大肝煎をつ とめた由緒ある家柄である。

 手代木家の建築年代は、本家からの分家の時期とその建築の事情に関す る口伝や記録はほぼ明らかであり、住居の原形に照らしてもとくに矛盾を 感じないから、天保年間後半(1840頃) の建築としてよいであろう。 江戸期未の会津地方の農民住居は、寄せ棟造り平入りの直屋(すごや)か、 土間の前方に馬屋棟を突き出したいわゆる馬屋中門造りのどちらかが採用 された時期である。また、喜多方市付近では、馬屋中門造りとはいえない 変形の曲り家が相当流行していたことは事実である。

 しかし、手代木家はこれらのどれにも当てはまらない変形の間取りをし ている。広い土間と「かって」、その西に続く「ヘヤ」部分が東西にのび、 接客用の「のっこみ」をはじめ「ざしき」「さんのま」部分は棟を別にし て南につけている。また、馬屋は土間から普通とは逆に北側に突き出した 形になっている。

 手代木家は、昭和57年10月市の指定を受けると同時に市に寄付され、 市では、現在の地に移築復元をおこなった。昭和61年3月には、県の 指定を受け現在に至っている。

所 在 地 喜多方市字押切川向

指定年月日 昭和61年3月31日

旧 手 代 木 家 住 宅


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は喜多方市教育委員会に帰属します。
喜多方市教育委員会の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。