喜多方市の文化財 -023/055page
下 柴 の 彼 岸 獅 子
下柴の彼岸獅子は、部落に伝わる古文献によると、天正2年(1574) 悪疫が流行し、医療はもちろんもろもろの祈祷をおこなってもおさまらな かった。そのとき異人があらわれ、その言葉どおり神明に祈り、獅子舞を おこなったところおさまったことから、以来、毎年春の彼岸七日間の間、 獅子舞を行うようになったのだと伝えられている。
舞は、太夫獅子、雄獅子、雌獅子の三頭が、腰につけた小太鼓を打ちな がら囃子方の笛、太鼓に合わせて踊るものである。舞の種類は、 打ち込 み 棒舞 弓くぐり 幣舞 芝かくし 山おろし 雄獅子舞 雌獅子舞 太夫獅子舞 ばち舞 雌獅子かくし などがある。
なお、下柴の彼岸獅子の元祖と言われている古橋覚太夫の墓というのが、 部落の北にある安楽寺墓地に残っている。
所 在 地 関柴町下柴
指定年月日 昭和62年3月27日