わたしたちのまち喜多方-082/125page
水道は,これまでにどのようにしてととのってきたのでしょうか。
水道の歴史とこれから
喜多方市の水道の歴史
喜多方市の水道の歴史について調べてみました。喜多方市の水は以前はとてもきれいで,井戸をほって,飲み水にしていた家庭もあるそうです。しかし,人口がふえたり,川の水や地下水が少しずつよごれてきたりしたので,安全でおいしい水をより多く送るために上水道の工事を進めているそうです。
年代 できごと 喜多方市のほとんどの家庭が井戸水や沢水を使っていましたが,良い質の水がえられず,苦労している地区もありました 昭和30年ごろ〜 上三宮町の五分一地区に五分一簡易水道,吉川地区に吉川簡易水道,慶徳町の真木地区に真木簡易水道,松舞家・豊岡・新宮・山科地区に慶徳簡易水道,関柴町・小松地区に小松簡易水道ができました。
※簡易水道…使う人が5000人未満の水道昭和40年ごろ 昭和43年 日照りが続き,飲み水や消火用水が不足しました。そのため,安定して水を確保できる上水道を作ってほしいという市民の願いが強くなりました。 昭和45年 喜多方市に上水道を作ることがみとめられました。 昭和47年 松山町の飯田地区の地下水を水源とする配水場が新屋敷にできました。
その後,地盤の高いところに水を送るため、ポンプ場を作り,市内の各地に水を送ることができるようになりました。昭和58年 地下水よりも水の量が安定しているダム(日中ダム)から水を送るために,熱塩加納村・塩川町・喜多方市が協力して、喜多方地方水道用水供給企業団を設立しました。 平成の初め 真木地区は,地理の関係で会津坂下町から水が送られることになりました。 平成4年 喜多方地方水道用水供給企業団から水が送られ始めました。
水の使用量の変化(市水道課調べ)
給水人口の変化(市水道課調べ)