わたしたちのまち喜多方-118/125page
工事の様子
しかし,工事は大変困なんなものでした。
最も難しかったのは,どう門(約350m)をほる工事でした。工事の場所が地区から遠くはなれ,土地の高さも1000m以上あり,不便なうえに寒さもきびしかったことが大きなげ原因でした。
左の図はどう門の中の様子を表したものです。と中でどう門がと切れているところがあります。かたい岩のため,ほるのが難しかったり,両側からほり進んだ時に,穴が合わずに,ほるのをと中で止めてしまったのです。
また,ほってきた土地の高さが合わず滝のようになってしまったところもあります。
工事の道具もくわやもっこ,のみなど手作業によるものでした。また,半分に割った竹に水を入れたり,提灯を並べたりして土地のかたむきや曲がりぐあいを調べたりしました。
そのため,半年の工事の予定が3年もかかってしまいました。のべ7000人もの人が働いたと言われています。きびしい工事のため,病気になったりする者も出てきました。
工事のお金もなくなり,藩からたくさんのお金を借りて最後まで工事を続け,やっとの思いで,1663年に用水路を完成しました。
どう門の様子
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