ぼくたち、わたしたちのあつしおかのう-069/100page

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(4)交通のうつりかわり
1)国鉄日中線の歴史
国鉄日中線の歴史
今の鉄道は,JR東日本とよばれていますが,それ以前は日本国肴鉄道(国鉄)といいました。
国鉄日中線は,昭和13年から昭和59年までの46年間にわたり,喜多方と熱塩間11.6kmを結ぶ大切な交通機関でした。
明治25年ごろから,栃木県今市市と山形県米沢市を結ぶ東北中央縦貫鉄道野岩羽線として計画がスタートしました。野岩羽線という名は,昔の下野(栃木県),岩代(福島県),羽前(山形県)をつなぐ鉄道ということでつけられました。
日中線は,昭和11年1月から工事が始まり,建設費72万円余をかけて昭和13年8月18日に完成しました。当時の人々の一喜びは,現在の新幹線の開通と同じか,それ以上であったと思われます。その後,日中線は,米沢市までのびる計画でしたが,第2次世界大戦のために工事は中止されました。
大戦後再び建設運動が続けられましたが,トラック輸送の発達と自家用車の普及による世の中の変化によって,鉄道はあまり大事とは考えられなくなり,工事は始まりませんでした。そして,日中線そのものも利用者が少なくあまり利益が上がらないので,国鉄と地域の間で何度も話し合いが行われましたが,とうとう昭和59年3月31日を最後に廃止されました。

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