目で見る 熱塩加納村の文化財 -053/144page
し、以後豊川太郎丸の地頭太郎丸示、さらに会津領主葦名氏の帰依を受けて会津曹洞の名刹となり本村の歴史の中心となってくる。 室町時代を迎えると、平安仏教は廃れ、新しい鎌倉仏教が地方に広がり、本村寺院のほとんどがこの時代に創建される。 <中世関係> 岩尾・佐原城跡中郭部 会津最初の領主佐原義連居城の地 岩尾・佐原城跡 (土塁と空堀跡) 針生館跡 針生南方(上根岸東北)在 会津領主、葦名14代盛滋の子盛幸針生郷を領し針生氏を名乗り天文年(1532〜)針生南館の内に築城、この城は備えの城という。現在圃場整備で跡形なし。 岩尾・佐原城跡義連墓五輪塔
し、以後豊川太郎丸の地頭太郎丸示、さらに会津領主葦名氏の帰依を受けて会津曹洞の名刹となり本村の歴史の中心となってくる。
室町時代を迎えると、平安仏教は廃れ、新しい鎌倉仏教が地方に広がり、本村寺院のほとんどがこの時代に創建される。
<中世関係>
岩尾・佐原城跡中郭部 会津最初の領主佐原義連居城の地
岩尾・佐原城跡 (土塁と空堀跡)
針生館跡 針生南方(上根岸東北)在 会津領主、葦名14代盛滋の子盛幸針生郷を領し針生氏を名乗り天文年(1532〜)針生南館の内に築城、この城は備えの城という。現在圃場整備で跡形なし。
岩尾・佐原城跡義連墓五輪塔