ぼくたち、わたしたちの北塩原村-059/110page

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3) 北山村のおこり
そもそも北山村の「北山」という名前は、漆地区にある北山薬師とよばれる薬師堂(漆薬師ともいう)から名づけられたといわれています。北山村は1875年(明治8)に漆・土合・谷地・下吉の4つの村が合併して成立しました。その後下吉村が一時分かれましたが、1889年(明治22)、関屋村とともに再び北山村と合併して新しい北山村が生まれました。
4) 大塩村のおこり
大塩という地名は、いたるところに塩井があったことに由来し、戦国時代に伊達氏が活躍したころには、すでにこの地名はつけられていたと考えられています。1875年(明治8)に上川前村・下川前村と合併して成立しました。
5) 檜原村のおこり
檜原という地名は、この地に檜がたくさんあったことによると言われています。以前は、檜木谷地といわれていて山賊が住みつき、旅をする人々をおそうなどして困らせていました。そこで、1486年(文明18)に蘆名盛高は穴沢越中に命じてこれを討たせました。その後、越中が檜木谷地を檜原に改めたといわれています。
(3) くらしと道具のうつりかわり
北塩原村の人々は、昔から林業や農業を中心にくらしてきました。これら生活のために使われた道具は、その一部が裏磐梯郷土資料館、檜原歴史館にも展示されるなど今でも見ることができます。今使われている道具とどう違うか考えてみましょう。

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