ぼくたち、わたしたちの北塩原村-086/110page

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2) 第二回目の工事
この洞門(トンネル)は全長180間(約350m)あまりで、昼も夜も工事を進めましたが、満三年もかかり1660年(万治三)に完成しました。油を燃やしたり、ろうそくをともしたりして明かりをとりながらのむずかしい工事でした。そのため、病気になったり、にげだす人もいました。
3) 第三・第四回目の工事
洞門(トンネル)の出口から山麓の用水路の工事で1661年(寛文元年)から三年間かけて、雄国で農業をしている人や雄国の近くの農民、藩の役人の助けをかりて工事が進められ完成しました。その結果、76戸の雄国新田村ができました。
一回目の工事がはじまってから、7年の月日をかけ、7000人の人々が工事に関わり、費用は670両かかる大工事でした。
大塩平左衛門のその後
自分の財産をこの工事に使った大塩平左衛門は、家や土地を売り払い、自分の子どもたちもはたらきにだし、藩からお金やお米をかりての大事業でした。
その後、平左衛門は雄国新田から大塩村にもどり1686年(貞享3)2月17日にその生涯をとじました。
農民たちはその霊を1695年(元禄8)に貴船神社(七本木)に祭り平左衛門の偉業をたたえました。
大塩平左衛門のお墓は、大塩の「長泉寺」にあります。
大塩平左衛門の像
大塩平左衛門の像

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