わたしたちのまち 塩川 -075/108page

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2) 塩川小学校のうつりかわり

明治6年(約127年前)、塩川小学校ができました。子どもの数は166人でした。昭和22年(約(やく)53年前)に塩川町立塩川小学校となりました。

この間、新江木(にえき)分校、三吉(みよし)分校がありましたが、今はありません。

昭和28年には校舎(こうしゃ)が新らしく建(た)てられました。昭和44年(約31前)には体育館が完成(かんせい)し、昭和53年には築山(つきやま)が作られました。これらの建物(たてもの)が古くなり、昭和57年に4階建(かいたて)の校舎(こうしゃ)になりました。

昭和60年にはプール観(かん)らん席(せき)が完成(かんせい)し、昭和62年にはプールサイドが広くなり水泳大会ではおうえんしやすくなりました。

むかしの運動会(明治時代)
むかしの運動会(明治時代)

3)姥堂小学校のうつりかわり

大正13年(約76年前)、塩川町から姥堂地区に分かれ、姥堂尋常(じんじょう)小学校ができ、仮校舎(かりこうしゃ)から始まりました。大正14年に校舎が、昭和13年に講堂(こうどう)が新(あたら)しく建てられました。昭和22年に姥堂中学校が―緒(いっしょ)になりました。

その後、昭和26年に中学校の新しい校舎(こうしゃ)ができたので、小学校と中学校に分かれました。昭和29年、町村合併(ちょうそんがっぺい)により塩川町立姥堂小学校となりました。

昭和45年には、講堂(こうどう)が体育館に建てかえられ、昭和48年には50

むかしの校舎(こうしゃ)ー対象14年
むかしの校舎(こうしゃ)ー対象14年


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