わたしたちのまち山都町-092/110page

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5 郷土をひらく
1.ゆたかなくらしをもとめて
(1)千咲原の開たく
1)開たくが行われる前の千咲原
千咲原には,会津の武将たちが千咲原を訪れて千種類もの草花を植え,みごとに咲いた草花を見て楽しんでいたといういいったえがのこっています。千咲原という地名もそのことがもとになって生まれたといわれています。そのなごりとして今でも地名の中に,古屋敷,御屋敷,屋敷の内,御前清水などの名前がのこっています。
明治の中ごろまでは,阿賀川の近くにわずかの人たちが農業を行っていましたが,太平洋戦争の終わりごろから,この千咲原で農業をしようとして都会から帰ってきた人や海外からもどってきた人たちによって,千咲原の開たくが始められました。
千咲原は南北に長い台地で,見わたすかぎりの赤松林が続き,松の木の生産地でもありました。しかし,千咲原の台地は,作物を育てるのにあまりよくなく,水の便も悪くて,ひでりになると作物がほとんどとれませんでした。
千咲原の開たくのようす
千咲原の開たくのようす

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