わたしたちのまち山都町-093/110page
2)千咲原の開たくのようす
大正から昭和のはじめにかけて何度か開たくが行われました。開たくは林を切り開いて根っこをほりおこしたり,大きな石を取りのぞいたりして進められ,たいへん苦労しました。しかし,作物が育たないまま,ほとんどが失敗に終わってしまいました。
その後,畑になんとか作物を作れるようにしたいという人びとの願いによって,昭和23年に「千咲原開拓農業協同組合」がつくられ,新しい村づくりに立ち上がりました。この組合によって地区の人びと全員が心を一つにして開たくに力を入れるようになりました。
その結果,いろいろな作物(すいか,じゃがいも,だいず,落花生,さつまいもなど)が作れるようになりました。中でも千咲原のすいかは品質がよく,東京の市場にまで出荷されるようになりました。
げんざいの千咲原
千咲原開田記念碑