高郷の地質と化石 会津化石研究グループ -043/066page

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してきて飯豊山ができました。この頃中国地方をはじめ、日本各地で、花コウ岩の貫人がありましたので、広島変動と呼ばれています。新生代古第三紀(〜2400万年前)まで大陸と陸続きで、暖かく雨も多かったので、亜熱帯の植物が生えていました。

 第26図 新第三紀中新世中期(1500万年前〜)になると、高郷村付近は、グリーンタフ変動の影響を受けて、沈降して海底になりました。その頃東北地方で陸地だったのは、北上山系、飯豊山くらいでした。高郷村付近にみられる地層は、この時代以後のものです。深い海底だったので、おもに泥が堆積しました。これが利田層です。この泥岩には、石灰質の丸い殻をもった有孔虫がみられます。大きさは、ルーペでやっと見えるものから、直径4mm位のものです。その後、海底火山が激しくなり、火山灰が海底に厚く堆積しました。これが荻野層です。この頃の凝灰岩は、緑色をしているので緑色凝灰岩(グリーンタフ)と呼ばれています。建築材につかわれている荻野石です。石切場などからみても相当な厚さで、当時の火山活動の激しさがうかがわれます。この火山活動の関係で黒鉱と呼ばれる鉱床ができました。小土山(こづちやま)鉱山がそれです。この時代にできた鉱石は色が黒いので黒鉱と呼ばれ、鋼、亜 鉛、鉛、金、銀を含む鉱石です。やがて海底火山も穏やかになりましたが、深い海でしたので、おもに泥が堆積しました。これが漆窪層です。この泥岩には、有孔虫、ウニ、魚(ニシン)のウロコ、貝などの化石が含まれています。やがて火山は、陸地に移り、火山灰は海にも流れました。海底は隆起し始め、海はだんだん浅くなり、れき、砂、泥が堆積しました。これが塩坪層です。海水はだんだんと冷たく、そこには、タカサトカイギュウ、クジラ、セイウチ、サメ魚が泳いでいました。浅い海には、たくさんの二枚貝、巻貝、カニなどがいました。これらの動物の巣穴が砂管(さかん)(サンドパイプ)として塩坪層の砂岩の中に残っています。

 第27図 海底の一部は隆起を続けたので陸地になり、高郷村付近は大きな湖(会津盆地より大きい湖)になりました。湖底には、れき、砂、泥が堆積しました。これが藤峠層です。湖の周囲には、ブナ、ナラ、カエデなどの森林で、これらの植物片が亜炭になり、葉や実や種子の化石になりました。軽沢峠付近の泥岩や細かい砂岩には、湖の中心部からでる、ケイソウがたくさん含まれています。また、汽水や淡水に棲むシジミヤアゲマキガイの月化石も産出します。

高郷村の位置
第26図 中新世中期〜後期


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