わたしたちの郷土 高郷村 - 072/094page
鉄橋(てっきょう)をかけたり、トンネルをほったりしなければならなかったので大変苦労(くろう)しました。いくつもあるトンネルに使われているレンガは、塩坪(しおつぼ)と吹屋(ふきや)にレンガ焼(や)き場(ば)をつくり、そこで焼かれたものです。昭和47年(1972年)からは、それまでの蒸気機関車(じょうききかんしゃ)(SL)にかわってディーゼル機関車が走るようになりました。
鉄道が開通した年(磐越西線)
鉄道がしかれて、交通が便利になると、人や物の行(ゆ)き来(き)がさかんになりました。
荻野駅からは荻野石や木炭(もくたん)、まき、木材(もくざい)(杉(すぎ)や桐(きり)など)がたくさん運(はこ)び出され、運ばれてきた物の多くは肥料(ひりょう)でした。また、荻野駅と新郷発電所の間にも上流(じょうりゅう)からの木村を運ぶための鉄道が走っていました。
昭和51年落成の荻野駅近ごろは、自動車の発達で、鉄道を利用することがずいぶんへりました。しかし、今でもわたしたちのくらしにとって鉄道は大切な乗(の)り物になっています。昭和60年(1985年)から荻野駅は無人になり、高