わたしたちの郷土 高郷村 - 078/094page

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えんぶり……馬ぐわやこまざらいで代かきをしたあと、田植えをしやすいように田の表面を平らにするために使いました。

 むかしは、田植(たう)えや稲(いね)かりは機械(きかい)を使わず馬や牛を使ったり、工夫した道具で仕事をしました。そのため働く時間が今の何倍もかかったので、朝方(あさがた)うす暗(ぐら)いうちから夕方暗(くら)くなるまで働きました。子どもたちも学校から帰ると田や畑の仕事を手伝い、いそがしい時期(じき)には農(のう)はん休業(きゅうぎょう)という休みもありました。

米を作る時に使った道具


▼千歯(せんば)こき
  (大正のはじめまで)
千歯こき

せんひき足ぶみだっこく機
▲せんひき足ぶみだっこく機
   (昭和30年代まで)

 稲かりをしたあと、稲を「さで」にかけてよくかんそうさせてから、「稲こき」をしました。もみは「するす」でひいてげん米(まい)にし、げん米は水車小屋などで「ついて」「千石(せんごく)どおし」でぬかをふるいおとして、ようやく食べられる白米(はくまい)にしました。
 むかしの作葉は共同作業(「ゆい」と言った。)が多く、「水車」や「ばったり」もほとんどの集落(しゅうらく)にありました。

するす
するす(すりうす)

とうみ
とうみ

とうみ……もみがらやごみをふきとばすために使いました。


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