わたしたちの郷土 高郷村 - 081/094page

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X 郷土(きょうど)の発展(はってん)につくした人々

鈴木 栄 (1) 鈴木 栄(すずき さかえ)

 文永元(ぶんえいがん)年(1863年)〜10年(1935年)

 熱塩加納村日中(あつしおかのうむらにっちゅう)の肝煎(きもいり)菅井忠平(すがいちゅうへい)の二男(じなん)として生まれました。小さいころから赤羽庄三郎(あかばねしょうさぶろう)という人について漢学(かんがく)を勉強(べんきょう)しました。父の菅井忠平は、当時熱塩加納村の戸長(こちょう)をつとめていました。兄の千代吉(ちよきち)が自由民権運動(じゅうみんけんうんどう)に関係(かんけい)していたため、そのえいきょうをうけ、栄も青年になると自由民権運動に参加(さんか)しました。

 自由民権運動とは、わが国ではじめての民主主義(みんしゅしゅぎ)の運動(うんどう)で、国会(こっかい)を開くことを求める人々の運動です。福島県(ふくしまけん)では、河野広中(こうのひろなか)という人が中心になって進められました。

 栄は、明治14年(1882)18オ(さい)で、高郷村夏井(なつい)にある鈴木(すずき)家に、むこ養子(ようし)になりました。夏井では、門弟(もんてい)に漢学を教えました。また、会津坂下(あいづばんげ)町から寺子屋(てらこや)の先生をたのまれたりしました。

 栄は、大正(たいしょう)3年から大正10年まで、新郷(しんごう)村千咲(せんさき)村組合村長(くみあいそんちょう)としてかつやくしました。栄は、仕事には大変きびしい人でしたが、和歌(わか)をつくったりすることもすきでした。

 としをとってからは神官(しんかん)のつとめもして、昭和10年4月、73オでなくなりました。


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