わたしたちの郷土 高郷村 - 091/094page

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 ◆高郷村小学校の歩み  (明治元年〜平成3年)
年 号
主 な で き ご と
明治 6年
(1873)
○学制により西羽賀徳蔵寺を校舎とし、公立西羽賀小学枚と改称する。(一小)
○第四区大小区小学校として富士村(西会津町の一部)磐見村上郷村揚津村を学区として滝下利田円満寺に創立した。(二小)
○揚津簡易小学校創立した。(三小)
7年
(1874)
○揚津村簡易小学枚と改称し磐見地区には磐見分教場(小土山鏡福寺内)においた。 (二小)
○小土山鏡福寺に磐見分教室開設した。(三小)
11年
(1878)
○新郷村西羽賀小学枚新築した。(一小)
20年
(1887)
○揚津簡易小学校は廃止されて山郷小学校揚津分教場となり、磐見・上郷・揚津を
含めて校下とした。(二小)
○楊津簡易小学校廃止され、山都小学校所属となる。 (三小)
21年
(1888)
○山郷小学役場津分教場は揚津簡易小学校となる。(二小)
○揚津簡易小学校再興し、再びその所属となる。(三小)
23年
(1890)
○公立峯・三津合・大田賀各小学校を合併し、新郷尋常高等小学枚と改称する。 (一小)
26年
(1893)
○山郷尋常小学校と改称し、吹屋若松山円長寺におき、揚津磐見に夫々分教場をおく。(二小)
○山都尋常小学校開設され、再びその所属となる。(三小)
30年
(1897)
○新郷村大字羽賀宇和尚堂3152番に2階建校舎新築する。(一小)
34年
(1901)
○鏡福寺焼失につき、磐見分数室は小土山部落物江勝美氏宅に移り、校下のうち大谷区は山郷尋常小学校の学区となる。(三小)
37年
(1904)
○三方区は新校舎を新築し、磐見分教室より分離する。(三小)
44年
(1911)
○山郷小学枚を大谷に新築開校し、利田揚津に夫々分教場をおく。(二小)
○大谷に校舎を新築し、山郷尋常小学校を移し、磐見三方両分教室を統合、利田揚津分教場を所属する。(三小)
45年
(1912)
○利田分教場を廃止し西海枝尋常小学枚を新築開校、学区を清水滝下、大谷を除く上郷とした。(二小)
○利田分教場を分離する。(三小)
大正 2年
(1913)
○山都〜野沢間の鉄道が開通する。
○揚津分教場を分離する。(三小)

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