わたしたちの郷土 西会津町 -086/122page

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IV かわってきた西会津町(にしあいづまち)

(1)学校のうつりかわり

 わたしたちの学校は,いつできたのでしょう。学校には沿革誌(えんかくし)といって,学校の歴史(れきし)を書いた帳簿(ちょうぼ)があります。学校の沿革誌をみると,わたしたちの学校がいつ,どこに,どのようにしてできたか,どのようにかわってきたかがわかります。

 西会津町には,これまでに屋敷小学校や黒沢小学校のように児童数がへって閉(へい)校になった学校もあれぱ,今後,統合中学校のようにこれから新たな歴史(れきし)を歩み始める学校もあります。ここでは,野沢小学校のことを例にして学校のうつりかわりを調べました。


 野沢小学校のうつりかわり

明治のころの学校

  野沢小学校は1873年(明治(めいじ)6年)に,原町(はらまち)の渡部馨治宅(わたなべけいじたく)をかりて学校にしたのがはじまりです。そのあと,1877年(明治10年)に今の野沢小学校のある郷倉跡(ごうぐらあと)に学校を移(うつ)しました。写真(しゃしん)をよくみると,土蔵(どぞう)の校舎(こうしゃ)であることがわかります。屋根(やね)はかやぶき,戸はしょうじ 戸でたたみにすわって勉強(べんきょう)しました。その後,1902年(明治35年)には,木造(もくぞう)の2階建(かいだ)てのりっぱな校舎ができました。

▲郷倉の校舎
▲郷倉の校舎

▲明治35年3月の卒業生(そつぎょうせい)
▲明治35年3月の卒業生(そつぎょうせい)


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